「夫婦の肖像」新保信長『食堂生まれ、外食育ち』【29品目】
【隔週連載】新保信長「食堂生まれ、外食育ち」29品目
ことほどさように、夫婦で飲食店を営むなら夫婦円満であることは重要だ。必須条件ではないかもしれないが、円満に越したことはない。それで思い出すのが、とある割烹だ。近所にあったワインバーが閉店し、そこに新装開店したお店。オープン早々に妻と二人でお邪魔したら、まだ若い大将と女将さんが出迎えてくれた。
10席ほどのカウンターに半個室というこじんまりしたたたずまい。どこかの料亭で修業してこのたび独立しましたという感じのご主人が板前として腕を振るい、奥さんが女将(着物に割烹着着用)として接客を担う。料理は本当においしかった。しかし、注文を聞いたりお酒をとっくりに注いで出したりする女将は、今ひとつ愛想がないというか、つまらなそうなのである。「なんで私がこんなことやらなきゃいけないの」と顔に書いてある。奥さんは独立に反対してたのに、「二人で頑張ろう」とか言われて押し切られたのかな……などと、勝手な推測をしてしまう。
その店には、それからも何度か行った。以前に勤めていた店の贔屓筋と思しき客もいて、良く言えば親しげに、悪く言えば馴れ馴れしく、大将や女将に話しかける。新規オープンの店としては、そういう客は大事にしなければいけないのだろうが、上から目線の言動は傍目にはいささか下品に見えた。それはだいたいおっさんで、主に相手をするのは女将である。いわゆる“太客”という認識があったのかどうか、彼らを相手にするときは精一杯の笑顔を振りまいていた。通りすがりに、店の前でおっさん客をお見送りする姿を見たこともある。
そしてある日、久しぶりに訪れたその店に、女将の姿はなかった。何かやむをえない用事があるとか体調不良とか、理由はいろいろ考えられる。おめでたという可能性もあるだろう。自分としては特に詮索する気はなかったのだが、常連っぽい客が「○○ちゃん、どうしたの?」と直球の質問を繰り出した。そのときは「いやー、ちょっと実家に帰ってまして……」と微妙な返事をしていたのが、次に行ったときには「いやー、カミさんに逃げられまして」と剛速球を投げ返していて、我々は「お、おう……」と思いつつ聞こえないふりをしたのであった。
その後、「アルバイト募集」の貼り紙が出され、いつのまにか若い娘が後釜に座り……というような展開はなく、大将一人で頑張っていた。が、やはり一人では手が回らないのか、しばらくお休みとなり、やっと復活したと思ったらメニューが「おまかせコース」のみになっていた。それはそれで接待や記念日の会食などにはいいのだろうが、我々のように仕事終わりに立ち寄る人間には向かない。料理自体はおいしいので残念だったが、それ以来行かなくなり、結局、コロナ禍を迎える前に閉店してしまった。
夫婦で店をやるというのは究極の共働きであり、他人を雇うよりデリケートな部分も多いに違いない。その店があった場所は、コロナの影響もあってか、空き家のままだ。前を通るたびに、ちょっと寂しい気持ちになる。
文:新保信長
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新保信長 著『食堂生まれ、外食育ち』
作家・平松洋子さん推薦!!
「気配をスッと消し、食の現場をニヤリと斬る。
選ばしし外食者の至芸がすごい。」
外食歴50年超の著者が綴る異色の外食エッセイ!
一口に「外食」と言っても、いろんなシチュエーションがある。子供の頃に親に連れていかれたデパートの大食堂。夜遅く仕事帰りに一人で入る牛丼屋。ここぞというデートや記念日に予約して行ったレストラン。気の置けない仲間と行く居酒屋。たまの贅沢のカウンターの寿司屋。出先でたまたま入った定食屋。近所のなじみの中華屋や焼き鳥屋……。
誰もが心当たりあるような懐かしくも愛しき「外食の時空間」への旅が始まる!
カバー&本文イラスト描いたイラストレーターおくやまゆかさん。
イラストが最高に愉快!(全50点収録)
目次
序 「今日のごはん何?」と聞いたことがない
第1章 ノスタルジア食堂
1品目|外国人と鴨南蛮と中華そば
2品目|ランチタイム地獄変
3品目|「天丼」と「うどん天」と「シマ」
4品目|出前とデリバリー今昔物語
5品目|おでん定食というギャンブル
6品目|ハンバーグ記念日
7品目|おいしい味噌汁の条件
8品目|最高のおやつ
9品目|校外学舎の悲しき夕食
10品目|わんこスイカ
11品目|ところ変われば品変わる
12品目|「恵方巻」と「丸かぶり」
13品目|ちくわぶとはんぺん
14品目|「肉じゃが=おふくろの味」って誰が決めた?
15品目|スマホがなかった時代
16品目|Gに気をつけろ!
第2章 私が通りすぎた店
17品目|あの素晴らしい寿司屋をもう一度
18品目|気まぐれすぎる女将
19品目|選択肢のない店
20品目|日本一大きいビアガーデン
21品目|カニ・マイ・ラブ
22品目|国会図書館でナポリタンを
23品目|夫婦の肖像
24品目|サハリンの夜
25品目|インドで大炎上
26品目|開幕前の至福の宴
27品目|私がスポーツジムに通う理由
28品目|かわいそうな寿司屋とその弟子
29品目|残業メシ格差
30品目|よそンちの食卓はつらいよ
31品目|大食いと早食い
32品目| BGMも味のうち?
第3章 外食の流儀
33品目|大盛りはうれしくない
34品目|取り皿問題
35品目|デザート嫌い
36品目|お熱いのはお好き?
37品目|器のTPO
38品目|あんまり尽くされても困る
39品目|スパゲティがパスタに変わった日
40品目|何をかけるか問題
41品目|どの席に座るか問題
42品目|酒飲み認定
43品目|11人きた!
44品目|硬と軟
45品目|人はだいたい同じものを注文する
46品目|トングどっち向きに置く?
47品目|箸と愛国
48品目|ステキなタイミング
おわりに 入れなかったあの店の話